子山羊の日記

寂しがり屋な女の独り言。

どこのコミュニティにも存在するのか…

構ってちゃん。

どこにもいる。一定数いる構ってちゃん。

犬コミュニティにも居た。笑

かつて私も構ってちゃんだった事はある。

若いというか…

幼稚な故、寂しがり屋だったのだ。

そんな自分を省みてその人と繋がってみる。

 

意味もなく虚無感に苛まれたり

なんとなく寂しい時って

自分の幸せを自分で決定していなかったり

自分の幸せを人任せ、物質任せにしていたり

自分が何者かでないと安心できなかったり

…要は心が健全じゃないという警告なのだ。

 

「うちの愛犬はワンパク過ぎる…

    ドッグランでも孤立して可哀想。

    インスタ始めたら

 お友達出来ると思ったのに

 自分も愛犬も

 あんまり友達できないクスン。」

…という、ストーリー投稿にモヤついた。

 

同じタイミングで別の犬コミュニティでも

同じような出来事が起きた。

こういう事が重なる時は

「その事について考えてみてね」って

宿題を出されてるみたいな気分になる。

 

先のストーリーを分解してみる

①愛犬がわんぱく云々

これ一番簡単。

そもそも子犬がわんぱくなのは

悪いことではない。

わんぱくに便乗して起きている

吠え、プレイドライブ等の問題行動が悪い。

だからそれは貴方が犬を知り

コントロールする事で改善する。

 

②インスタ始めたら犬友出来ると思ったのに

インスタの使い方を間違ってる

人付き合いの仕方も間違ってる

「友達」は

〜したら発生するもんではない。

〜したら友達ができるという

交換条件の上に友情は成り立たない。

 

「友達できると思ってた」

あなたは本当に孤独だったんだろうか?

「出来ると思ってた」と過去形にするなら

このストーリーを閲覧した私は

もう友達ではないと言う事になる。

 

あなたが寂しくならないように

常にあなたが求めるようにあなたの側に居て

あなたを気持ち良く、楽しくさせる人。

そんな都合の良い人って居ると思う?

あなたの言う友達は恐らく幻想なんだろう。

その2人に共通したのはそんなところだ。

 

人が自然と集まる人って

その人達に喜びの体験を必ず分け与えている。

そのために人知れず我慢していたりもする。

その人は孤独も愛している。

休息にしろ、惰眠にしろ、趣味にしろ

ひとりの時に際限なくやりたい事がある。

人と居ないからって寂しくはならない。

そこが違いなんだと思う。

 

そもそも。

犬が居たらそんな孤独に苛まれないはず。

犬をしっかり見ていれば。

インスタの楽しそうな犬リア充の集まりを

羨んで私も犬も寂しいなんて思うなよ。

犬を見て。

犬はリア充だから楽しいなんて思わんよ。

ドッグランにいかなきゃ

ストレス発散できないわけじゃないよ。

 

健全なコミュニケーションを取れているなら

ただただ愛犬は飼い主の喜びを探しているよ。

どんなに愚かな飼い主でも

愛して尽くしたいと思っているよ。

そんな生き物を傍においといて

寂しい、羨ましいなんて思うなよ。